明治12年創業の野坂屋旅館の歴史

別邸 わんこ日和の前身「野坂屋旅館」は、明治12年創業の老舗旅館です。
2020年(令和2年)7月の熊本豪雨災害で被災するまで、
長年、お客様との絆を大事にし、ご家族で過ごせる宿として営業して参りました。

【明治12年】野坂屋旅館のはじまり

「野坂屋旅館」初代の田中新平は、江戸時代、熊本の剣術道場へ通っていた武士でした。西南の役の時は薩摩藩に付き、薩摩藩が勝ったら葦北郡をもらう約束をしていたそうで、約束の印として薩摩新刀の脇差が残っています。しかし薩摩藩が負けたので、八代の坂本村へ逃げて1年間隠れていたそうです。明治11年坂本村から地元に戻り、明治12年2月に野坂屋旅館を棟上げしました。当時の棟札が現在も残っています。
3代目には子供が出来ず、私の母が養女に来て、祖父が決めた相手(私の父)と結婚して私が生まれました。明治時代から続く野坂屋旅館は、私の両親が4代目、そして私が5代目となる長い歴史を育んでまいりました。

明治12年に建てられた野坂屋旅館の前

その頃の
野坂屋旅館の中庭

その頃の芦北町の⾵景
旅館関係者

四代⽬女将が現在の社⻑のお⺟さん(前列右側)
野坂の浦の歌碑

野坂屋旅館の名前の由来

芦北町にある地名で、日本最古の歌集「万葉集」に長田王が筑紫に遣わせられた際に、和歌を詠んだ景勝地で、現在は歌碑がたてられている。野坂の浦比定地には田浦説・佐敷説などがあり、現在も特定されてはいない。美しい夕日が見られるスポットとしても人気が高い。その野坂の浦から旅館名はつけられました。

【昭和】野坂屋旅館の改築・移転

初代と2代目の頃は旅籠として、3代目の頃は下宿、仕事の方の宿泊、会食、結婚式などを営んでいました。昭和52年、明治に建てた棟を解体し、結婚式を受ける棟を新築しました。その際に野坂屋旅館も法人化しました。
4代目の父の時に、今回「別邸わんこ日和」を建設した土地を購入しました。仕事が暇な時は父がユンボを使ってコツコツと造成をしていたことを覚えています。

昭和になって野坂屋旅館建て直し

私が社長になったのは35歳の時です。両親からは「お前がする事に口は出さない」「思うように経営しなさい」と言われました。そこで結婚式場を造ろうかという時期もありましたが、芦北では無理だと判断し、私の時代は宴会と法事に力を入れようと決めました。
20年前、父が一人で造成した土地(別邸わんこ日和の建設地)に野坂屋旅館を移転して、食事の店と宿泊施設を造りたいと家族に相談しました。しかし、その頃から景気の動向が変わりました。宴会などは居酒屋さんで行われるようになり、40~50人くらいで開催されていた法事が10数名に減り、以前の半分から3分の1の人数になりました。結果、売り上げも年々減っていく現状でした。

豪⾬災害前までの野坂屋旅館

【令和】コロナ流行から熊本豪雨

そんな時に、コロナが流行して世の中が一変しました。それまで141年続いていた野坂屋旅館を閉めることも考えましたが、女将と長男から閉めることに反対されました。そうこうしているうちに追い討ちを掛けるように、7月4日に熊本豪雨がありました。豪雨の日は、6人のお客様と「雨が怖いので」と旅館に来られた地元のご高齢の方がお泊りでした。午前1時40分くらいに、前の写真屋さんから「水が出そうだ」とお電話を頂き、手伝いがいるのではと駆けつけたところ、佐敷川はすでに道路より高い水位になっていました。近所の方々にも声掛けして避難を促し、眠れない一夜を過ごしました。豪雨後は、床上125cmまで浸水し、厨房は停電、冷蔵庫は流され、どこから手を付けて良いのかさえも分からない惨憺たる状況でした。
その後、ボランティアの方に手伝って頂きながら少しずつ片付けていきました。自分の部屋に手を付けたのは、被災して2週間後でした。そういう状態の中で、取材を受けても「復興する」とは断言できず、「ターニングポイントだ」としか言えませんでした。これまでのままで野坂屋旅館を再興しても、経営が成り立たないことは自分が一番よく知っていました。

令和2年7⽉の豪⾬災害後の野坂屋旅館

「別邸わんこ日和」への思い

ある友人から、岡山の辺鄙なところに犬と一緒に泊まれるお宿があり、成功されているという情報を聞きました。視察のため早速10月に泊りに行きました。その時に、こういうお宿をやってみたいと思いました。
私も還暦を迎え、今までと同じようには仕事が出来なくなることも含めて、借金をして借金を返すためだけの人生にしたくないという思いと、今まで先祖が大切に引き継いできた野坂屋旅館を私の代で終わらせたくないと思いました。還暦からの人生は「楽しみながら仕事をしたい」と思い、犬と泊まれるお宿に挑戦することにしました。
挑戦すると決めてからは、いろんな方々のお手伝いを頂き、ようやく開業準備をするところまでに漕ぎつけました。自分が決めて行動したことで、周りの方々から応援していただいたことに感謝しかありません。先祖も、野坂屋旅館を継承するため、温泉の出る土地への移転には納得してもらえていると勝手に思い込んでいます。

現在の芦北町は、観光地としては難しい環境です。そのような環境下で、「別邸わんこ日和」は観光地だから泊まりに来ていただくのではなく、愛犬と一緒に泊まれるお宿として来ていただくことを目指しています。その一方で、「別邸わんこ日和」に宿泊されたお客様が、芦北でお土産を買われたり、お食事をされることで、少しでも地元への経済効果に貢献できればと思っています。私自身、芦北町観光協会長としてその目標を目指し、いま現在、頑張っています。
これからの人生を余暇や遊びが楽しみではなく、仕事を楽しんで生きていきたいと決めました。夢と目標を持って仕事を楽しんでいきたいと思っております。子供にも夢を与えられる仕事として、「別邸わんこ日和」を運営していきたいと思っております。

豪⾬災害から3年の⽉⽇を経て、
令和5年1⽉28⽇野坂屋旅館から
「別邸わんこ⽇和」に名称を変えて再出発

別邸わんこ日和 外観